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​エッセイ 共創する身体づくり

翻訳者のつぶやき 3 
バート・ヘリンガーの3回忌によせて
〜A letter to Dear Bert Hellinger
追悼(ありがとう)の言葉〜

 Sep 20, 2022  

       @ matsudo-city, Chiba-ken

より、日常に近いところで、人間が体験し得る世界の可能性を広げていくような感じで、居合わせた人たちと共に、生きることの深淵を感じ、探求することができるフィールドを、じわじわと一緒に創っていく。

 共に醸成した場で、いのちの営みを体感したり、どうしようもないことに居場所があることを確認する。

これが、私にとって出逢ってから16年目にようやく言葉にすることができるようになった、自分の専門フィールドに留まることでできてきた、「自分流」ファミリー・コンステレーションとソーシャルワークの統合版です。

《 前書き 》

 バート・ヘリンガーの3回忌にあたるので、お手紙を書いてみた。3年前に送れなかった追悼(ありがとう)の言葉。この出会いがなかったら、今の私はいない。今の活動の軸である、「てらたん」も「ここくら相談室」もはじまっていないだろうと思う。昨年の公認心理師現任者講習会の補足講義で「システム論的アプローチの視座」を話すこともなかったはずだ。

 この出会いのおかげで幅は広がった。だけど、簡単じゃない道を歩くことになったことも確かだ。そしてそれは本当に長い道のりだった。時にそれを恨めしく思うこともあった訳だけれど、今回、バート・ヘリンガーとの出会いを振り返って書く時間をもってみて気がついた(思い出した)。

 2001年に京都で初めてバートヘリンガーの場を体験した時、この人が何を見ているのか分かるようになりたいと強烈に思ったこと。この思いは止めようがなかった。だから、この世界に入り込むことは自分で選択したということだ。そしてやはりこの時、このままじゃ人(私の仲間)に受け入れられない、これをどう自分の日常(当時は精神障害のある人と一緒に住む形で世話人をしていた)と結びつけられるのかを当時から考えていたということ。

 

 ワークショップではなくて日常。

 

 結局、この関心は全く変化していない。

 そして20年以上たって、少しずつそれなりにその道を拓きつつあるのだなということ。

明後日からは、また、相模女子大学での演習がはじまる。シラバスの言葉を使うなら、「コンステレーションの体験を通して、自分の身体への気づき、自分を成り立たせている関係性への気づきを高め、日常に活かす視座を獲得することをめざしている演習」で全15回。コロナの影響で、一昨年はほぼオンラインでの演習、昨年は対面演習と書いたら3名しかこなかったのだけど、今の時点で20人の履修希望者がいることが判明。

何がおこっているのだろう。少しドキドキしながら楽しみにしている。

 (※上の動画は、バートに学んでいた頃に撮った写真たち。スライドショーにしてみました)

A letter to Dear Bert Hellinger

 

Dear Bert, 
Yesterday was the 3rd anniversary of your passing.
So, I write you and report you how I came to digest your work and “you” —- a meaning of I encountering with you —-as a mourning letter which I could not write 3 years ago.  

 

21 years already past by when I first met you at Kansai Seminar house in Kyoto.
I still vividly remember your soft yet thoughtful, and somehow delighted smile when I had looked into your eyes and asked the question.
The conversation went something like this.
“Do you work with person with schizophrenia?”
“yes, I do”
“ Do you think the family constellations can work on and bring “good “for these people with Schizophrenia?”
“ Oh yes, they played very well”
“・・・”

 

Though I did not understand at all at that time what you meant by “they play well”, I was confident that you definitely have something to teach me, something that I needed to learn.
That intuition was right.
Thanks to you, I now share the insight and procedure I received from you in my own way.
I use the constellation-technique as a tool for understanding oneself, as a tool for exploring human-beings, relationship itself, health, illness, the world we live in, and so on, based on the hope that the experience of constellations lead one to move towards living strongly in everyday life.

 

I do not use the technique as a tool of psychotherapies. Because I came to understand that psychotherapies, which provided in an ordinary fashion in this modern society, weaken people.
Also, in principle, I do not hold constellation workshops.

 

Because I didn’t like the discontinuity between workshop and everyday life.
I use the step of “placing representatives or becoming representatives“ among the people I meet in daily life to create together a “special space ” in which we are allowed to reconnect or reconcile with something important and crucial to daily living.

 

Coming up to my own way wasn’t easy.  It took me long period of time.
For this, I decided not to learn from and imitate your work.  
Rather I decided to stay working on my field of social work and wait until OK sign comes from outside and from within.The signs did not come at once. It came one by one, something like an opportunity to demonstrate constellations.  i.e., Sagami Women’s University, at first in 2014, then Enmeiji in 2016. 

 

The process was slow, but I think that is what it should have been.
 

Recently and, I can say, finally, I am pleased to have the opportunity to give a lecture on “perspective of a systemic approach” in which I was able to summarize and introduce insights on how it is possible to use constellations and insights in daily life. I was happy because the lecture-series was designed for caring professionals who are interested in working in home care field.
 

In this way, I am starting to integrate your work into my filed.
I call it “integration of social work and psychotherapy”.  But this naming is a temporary one, I am hoping to come up to a better name.
Anyways, I am still walking with you in this manner.  Not so obediently, But rather freely.
I was not shocked or sad when I heard you passed away 3 years ago.  I accepted that this was a natural thing that you left this world. However, just like I did at the Kyoto, I wish I could have told you directly about my recent development while looking into your eyes.

 

That's a bit of a regret.
Thank you very much for meeting me.


Sincerely yours, 


Kiyo 

 



(日本語で)

 

親愛なるバート
あなたがこの世を去ってから昨日で3年になります。
3年前には書くことができなかった追悼文の代わりに、今回、あなたと出会いを振り返って、あなたに伝えたいことをまとめてみたいと思います。

 

京都の関西セミナーハウスで初めて会った時から21年。
あの時、あなたの目をじーっと見つめて質問した時の、あなたの優しくも思慮深く、どこか嬉しそうな笑顔を、今でも鮮明に覚えています。

 

あの時はこんな会話をしましたよね。
「あなたは統合失調症の人にこのワークをしたことはありますか?」
「もちろん」
「このワークは統合失調症の人たちにとって「良い」結果をもたらすと思いますか?」
「はい、もちろん。彼らはとても上手にplayしましたよ」
「・・・」

 

正直なところ、当時の私には、あなたの言っている「彼らは上手にplaysした」という意味がまったく理解できませんでした。ですが、私には、あなたが私が学ぶべき何かを持っている人だということは、なぜだか確信したことを覚えています。
 

そして、その直感は正しかったです。
 

おかげさまで、今、私は、あなたから受け取った洞察や手順など大事なことを、私なりの方法で、人に共有することをはじめています。そこでは、コンステレーション(やその他の心理療法の手法)を、自分自身を理解するツールとして、また、人間や関係性そのもの、健康、病、私達が住む世界などを探求するツールとして用いています。そして、そこで体験したことが日常にどう活かすことができるかということや、そのためのコツについて一緒に探求するような、そんな場を創っていっています。コンステレーションを体験することが、その人がその人の日常を強く生きることに向かうことを願ってやっています。
 

だからこのテクニックを心理療法として使うことはしていません。現代社会の構造の中では今のような形式で心理療法を提供することが、人を弱めてしまうことに繋がりやすいと気付いたからです。
 

コンステレーションのワークショップというものも基本的に開催しません。
私は、ワークショップで起こることと日常に生きることの乖離が好きではなく、ワークショップを開く気が起こらなかったのです。

 

でも、「代理人を配置する」「代理人になる」という手順を使って、「特別な空間(非日常空間)」を創ることを、日常で顔を合わせる仲間と共に、それを創るということをしています。
この「非日常空間」は、日々の暮らしを形づくる何か大切なこと(たいていは目に見えなくてつかみどころのないもの)と改めて繋がり和解することができる空間です。
「代理人」という手法は、自分たちでそのような空間を創る(何かの権威に拠らずに創る)ことを可能にしてくれるのです。そして、私はこの用い方が好きなようで、また喜ばれています。

 

ここまで辿り着くのは簡単ではありませんでしたよ。長い時間がかかりました。
私は、まずは、あなたの影響を消すことから始めました。あなたのビデオを見ることや本を読むことをやめて、真似したくなるこころが生まれないようにしました。
それよりは自分の現場に居続けて、本当に、やっていいという合図が来るまで待っていました。(来るものなら来るだろう、来ないものなら来ないだろうって思っていました)

 

合図は一辺に来ませんでしたが、ひとつずつ、デモンストレーションをやる機会として訪れました。最初は2014年に相模女子大学で演習の機会として訪れて(それは、今も続いています)、そして、2016年には地元に近い延命寺というお寺で開く場で用いることになりました。こんなふうにゆっくりと進みましたが、そうゆうものなのだろうと思います。
 

最近、本当にようやく、「システム論的アプローチの視座」という講座名で、コンステレーションから得られる洞察やコンステレーションの実際について、それがどう暮らしの次元で活かせるのかということを人前で話す機会をいただけるようになりました。暮らしのレベルで人に関わる人たち(対人援助職)が多い受講者の前でこのような話ができたことはとてもうれしい事でした。
 

このようにして、あなたと出会って学んだことを、私のフィールドで活かしはじめています。
これを「ソーシャルワークと心理療法の統合版」と呼んでいますが、もう少し良い名前が欲しいなと思っています。
私はこうやって今もあなたと一緒に歩んでいます。従順にというわけではないですが、むしろ自由奔放にという感じですけれど、でも一緒に歩んでいます。

 

3年前、あなたの訃報が届いた時、自然なこととして受け止めていました。だからショックもなかったし、さみしいとも思わなかったのです。だけど、本当は、「今、こんな風にやってますよ」ってことを、初めて会った京都の会場でしたように、じぃーっと目を見つめながら、直接お伝えしたかったなと思います。

 

そこだけが少しばかり心残りです。
出逢えて幸せでした。

 

ありがとう。
起代

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